シングルマザー…一人親家庭・母子家庭
離婚の原因・理由は各家庭でそれぞれ違います。覚悟を決め、これからシングルマザーとして生きていくためには今まで、子供のことや家族のことなど夫婦二人で考え、問題解決してきたことが自分一人で背負っていかなければいけません。相当な決断力が必要になってきます。今回は、私がシングルマザーになった理由・決意についてご紹介します。
はじめは幸せな結婚生活
私の結婚生活は24歳で結婚、34歳で離婚。10年で終わりました。
出会ったときの元夫はバツイチで7つ年上の人。若かった私は元夫がバツイチは関係なく、周りにはいない大人の雰囲気に惹かれていきこの人となら幸せに生きていけると思い、結婚したはずです。
私たち夫婦はとても仲がよく、喧嘩もなく、子育てや家事にも協力的な元夫。
そんな元夫に助けられこんな人とずっと一緒に暮らしていきたいと毎日、幸せを感じていました。
この当時は【シングルマザー】になるなんて考えてもいませんでした。
それが義両親との同居で変わっていきます。
同居生活のはじまり
同居生活の話がでたのは私が2人目の娘を妊娠していたとき。
元夫が長男であることから義両親の面倒はみることに決まっていた?
でも、私には同居に対して抵抗がありました。
なぜなら義母とうまく接していける自信がなかったから。
付き合っている頃から違和感を感じていてなにかしら文句を言ってくる義母には正直、ウンザリしていたんです。
結婚し義両親の家の近所に住んでいたのだが毎日、顔をあわすことがないのでまだ我慢はできていました。同居について何度も元夫と相談。
義母とうまくやっていけるかなぁ?
自信がないんだけど?
大丈夫!何かあっても
絶対にお前を守るから!
何度も話し合いをした結果、私の気持ちは複雑なまま元夫の言葉を信じ同居をすることになりました。義両親の住む家をリフォームし二世帯住宅に。
そして、2人目出産後すぐに安静にしている間もなく引っ越し。
1人目の出産後は里帰りをして何不自由なく、実両親の協力もあり母子ともに安心で私自身の身体の回復も早かったですが…
2人目出産後は里帰りすることもなく気のあわない義母との同居生活がはじまります。
出産後とはいえゆっくりすることはできずバタバタと過ごす毎日。
そんな日々を送っていると私自身の身体が回復しなく、2か月たっても出血が止まらず心配になり病院にいくと…
動きすぎです!
安静にしていてください!
と言われたと義母に話すと
へぇ~そうなん。でもそんなん病気とちがうで?
嫁やったら家のことやって当たり前やろ!
え~っ!マジで?
ここでは安静に過ごすのはできない…
どうしよう?
これはあかん!もう一緒に暮らしていくのは無理かも?
とかすかに思った一瞬でした。とりあえず元夫に相談。
少しでも自分の身体の回復のために、一週間だけでもいいから実家に帰らせてほしいとお願いし、期間限定で許可をもらい実家に帰ることに。
さすがに一週間では全回復はできません。実両親はすごく心配してくれいつまでもこの家にいていいからと嬉しい言葉をもらい、自分自身の気持ちを落ち着かせることで冷静になれることができました。
この時に、今まで気づけなかった実親のありがたみ・今まで育ててくれたこと・いつまでも私のことを心配してくれている親に感謝しました。
そんな両親に心配かけないように自分も頑張っていこうと思い、自分の家庭を守っていく!と決意し、一週間すごし同居生活に戻ります。
我慢の限界
頑張っていくと思っていたんですが、同居生活は7年で終わることになりました。
同居しはじめた頃はまだ、娘たちは2歳と0歳。義母もまだ働いていて定年まであともう少しというところ。
その時はいろいろと小言をいわれながらでもまだ、なんとか穏やかに過ごせていましたが義母が定年を迎え家にいることになりさらに小言・文句がパワーアップ。
気のあわない義母の相手を一日中するには、とても苦痛だったので子どもたちを保育園にあずけ働きにでることにしたんです。
近所の町工場でパートを始め、久しぶりの仕事には不安や緊張もありましたが幸いにもいい人たち・いい環境での仕事がみつけられ安心できました。
仕事以外でのつきあいも増え、家族ぐるみで遊びにいったり食事をしたりして楽しみも多くなってきていました。この楽しい日々を送ることができるようになり何とか義母との関わりを少なくすることで嫌味や文句も聞き流せるようになってきていて気にしないように心がけていました。
そして、数年がたち娘たちが大きくなって普通に会話ができるようになってからは義母の小言は娘たちにいうようになっていきます。
大きくなったとはいえまだ保育園児。この頃から娘たちも義母のことは嫌がり、近寄っていくこともなくなってきました。
その反面、月に2回くらいしかあわない私の実家にいくと帰るのをすごく嫌がり大泣きします。
車にのせ約50㎞離れた家に帰る途中でも後ろをみながら「じぃちゃん!ばぁちゃん!」といって泣き、そのうち泣きつかれて寝てしまうというのがいつもの帰り道。
その泣き声で私ももらい泣きし涙を流しながら運転して帰ったこともしばしばあります。
夏休みで実家に行っていた娘たちが小1・小3のときに離婚となり、二度と家に帰ることはなくなります。
私もいろいろと家の用事をすませてから実家に帰る予定でした。
義母と一緒に次の日にくる親戚の人たちへの食事の準備などをしていた時、いつもの小言や文句を聞き流せなくなり大げんかになってしまいました。
さすがに私ももう我慢の限界で確実に離婚を決意した瞬間でした。もうこんな人とはやっていけない。子どもにも影響が悪すぎる...
同居生活で変わったこと
- 私の気が短くなってきた
- 夫婦がギクシャクするようになってきた
- 元夫も嫁姑の間にはさまれ元気がなくなってきた
- 子供が私の顔色をみるようになってきた
- 泣くのを我慢して涙だけ流す子どもたちになってきた
(泣くと義母が文句をいうので、私が叱るため) - 毎日が、苦痛でしかない
離婚の理由
嫁姑問題
今後も元義母と絶対にうまくやっていけない。もう我慢ができなかったから。
大切な家族のため、元義母の嫌味や訳のわからない文句を聞き流し自分なりに努力はしてきました。
やはり我慢し平静を装ってても顔や口調に出ているようですね。
久しぶりに会う両親や友人たちはいつも心配をしてくれていました。自分では普通のつもりでしたけど・・・
- いつもピリピリしている母親に顔色を伺う子供たち
- 嫁姑にはさまれた元夫のストレス
- 守るといってくれていた元夫ももうお手上げ状態
夫婦2人がストレスをためてしまっていてはいい子育てはできません。
計画なしの離婚
やはり元夫は離婚には反対でしたが、夫婦2人の抱えるストレスのことやこのままでは幸せな生活を送れないと話し合いをし納得してもらいました。
しかし先のことも考えず、勢いでの離婚だったのでその日から私と娘たちの生活がガラッと変わることとなります。
とりあえず実家にお世話になり自分の仕事や住まいを決め、子どもたちも転校することになるので小学校の転出や転入手続き、苗字も変え子どもの戸籍の変更ために家庭裁判所へ。
夏休みもあと2週間で終わる中バタバタといろんなことが変わっていきました。
離婚後の決意
今まで夫婦で協力しあってきた家事や育児。
それがすべて自分一人でやっていくことに変わります。
生活費も自分の収入のみ(養育費はなし)になります。でも、不安はあまり感じなかった。それよりも義母から解放されるという嬉しい気持ちが強かったですから。
これからは子供たちだけのことを考え、寂しい思いをさせないように必死で守っていき3人で絶対に幸せに生きていこう!と決意しました。
母子3人での新生活
私は、地元に戻っただけですが子どもたちにとってはたまに遊びにくる場所でしかなかった。
夏休みが終わってからは新しい家から新しい学校に登校です。新しい環境になじめるのか不安だったが、登校初日から二人ともお友達を連れて帰ってきたことに安心しました。
それから毎日友達と遊びにいき、よく食べるようになり元気で楽しく過ごしていきます。
大好きなおじいちゃんやおばあちゃんも近くに住んでいたため、よく遊びにつれていってもらってました。
離婚当初はとまどっていた実両親もとても協力的で私たちのことを手助けしてくれたことにありがたく感謝しかないです。
母子家庭になって変わったこと
- 私の気が長くなった
- 私たち3人の笑顔が増えた
- 子ども中心に考えることができるようになった(同居の頃はほぼ義母のことだったので)
- 苦痛がなくなった
- 自分の気持ちが楽になった
私たちにとって離婚は正解でした。
義母から解放されストレスがなくなったので楽しく生活ができることが幸せです。
もしもまだ、同居生活を続けていたなら私も子供たちも今の性格ではなかったかもしれません。
嫌味や暴言をいう人になってたかもと考えるとゾッとします。
これからシングルマザーで生きていこうと考えている方へ
私の場合、計画もなく何の準備もしないままの突然の離婚だったのでやはりバタバタと慌てることになりました。
これから母子3人での生活が始まるというのに相当なエネルギーを使いかなりの疲労感がありました。
これからシングルマザーになろうとしている方は新しい生活に向けて、慌てることがないように準備をしておくことが大事だと思います。
- 離婚後はどこに住むのか
- 生活費はどうするのか
- 養育費にこと
- 離婚後の子どもの保育園や学校のこと
- 仕事はどうするのか
- シングルマザーが利用できる制度や手当のこと
これからは自分で生活費を稼ぎ子どもたちを育てていくことになります。
家事と育児も含め、すべて自分一人でやっていくという覚悟が必要になってきます。
それと、自分たちの将来がどのようになっていたいかと考えることも大切だと思います。
私の反省すること
離婚後は自分の収入と児童扶養手当で生活してきました。
その当時は自分たちがこの先、どうなっていくのかを考える余裕もなく「とにかく毎日ちゃんと生活していかなきゃ…」という思いだけで“今”しかみれていませんでした。
そんな時、親や親戚たちに
これから先のことも考えて今のうちに何か資格でも取ってたらどう?
ん~っ
毎日が必死で時間がないなぁ~
今のところ何とか生活ができてるからそれでいいかな?
と思っていました。周りのシングルマザーさんたちは看護師や介護士、調理師などの資格を取っていってました。
みんなすごいなぁと感じながら私も資格を取ることに興味はありましたが「時間がないから」「余裕がない」と諦めてしまっていました。
これが私の反省するところです。
やっと50代になって気づき資格を取ることとなりました。
今では自宅にいながら資格をとれるようになってきました。
スキマ時間で自分のペースで取り組めるので無理なく資格所得へ!資格を持っていると就職や転職には有利になってきます。
今の時代では副業をする人も増えてきていますよね。自分磨きのためやスキルアップのために資格をとってみませんか?
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さいごに
私はシングルマザーとして生きる道を選んだことに後悔はしていません。なぜなら私たち母娘に笑顔が戻ってきたから。
もちろん育児・家事・仕事をすべて自分一人ですることは決して楽ではありませんでした。両親や妹や友人の支えもあり頑張ってこれましたし、何より子供たちがいつも元気な姿をみせてくれることに勇気づけられていました。
母の日や誕生日には「ママ、いつもありがとう。お仕事がんばってね」と手紙をもらうと泣けてくる。
そして長女が20歳になった時、私の出勤前に手紙をもらい会社に行く途中で読みました。内容は感謝の気持ちが長々と書いてあり、ここまで涙が出る?というほど大泣きしてしまいました。
私の子育ては間違ってなかったんだなと感じ、この子たちがいてくれたこそ今まで頑張ってこれたんです。
私の結婚生活は10年で終わってしまいましたが元夫にはこの娘2人とめぐり合わせてくれてありがとうと言いたいです。